ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 若狭野小学校 > 学校の沿革

本文

学校の沿革

ページID:0052416 更新日:2022年8月3日更新 印刷ページ表示
明治7年3月 博修小学校
明治9年1月 修宝小学校
明治10年 八洞小学校
明治15年 上松支校・東西後明支校をみる
明治16年3月 八洞梶に校舎新築、現在校の前身となる。
明治20年 学制の変更により、簡易小学校となり、修業年限も3年となる。
明治22年 教場が狭くなり、両袖に増築
明治23年 簡易小学校を廃し、尋常科としてその年限を4年とする。
明治34年8月 本校改築のため、地鎮祭
明治35年2月 八洞小学校を若狭野小学校と改称
明治35年4月 高等科を併し、若狭野尋常高等小学校と改めた。
大正12年4月 補習学級を置く。
昭和16年4月 若狭野国民学校となる。
昭和22年4月 学制改革により、若狭野村立若狭野小学校となる。
昭和35年9月 校歌制定(歌詞:樫本 豊堂・作曲:澤 巌)
昭和44年3月 現校舎落成
昭和45年8月 校舎庭園完成
昭和46年3月 屋内体育館・音楽室・図書館竣工
昭和55年4月 副至教育指定校
昭和57年4月 校長 丸山 郁夫 就任
昭和58年3月 鉄製肋木を運動場に設置
昭和58年4月 校長 古澤 勉 就任
昭和59年4月 「道徳教育」指定校
昭和59年8月 給食室食器洗浄機設置・給食室土間改修
昭和60年2月 放送機新製品と入れ替え
昭和60年3月 各教室前黒板を磁石黒板と入れ替え
昭和60年7月 プール竣工
昭和61年4月 校長 桶本 憲郎 就任
昭和61年4月 「ひょうごっ子きょうだいづくり」推進校
昭和62年4月 校長 藪林 定美 就任
県社会福祉協議会「福祉教育」推進校指定
西播磨地区小学校「家庭科教育」推進校指定
昭和63年4月 西同教指定「部落差別を解消する教育」推進校
平成元年8月 図書室・音楽・本館前面改修工事完成
平成元年10月 西同教「部落差別を解消する教育研究発表会」開催
平成2年8月 受水層工事着工
平成3年2月 西門及びフェンス改修工事完了
平成3年4月 校長 寺田 力正 就任
平成4年11月 「生活科授業研究発表会」開催
平成4年12月 「みどりの賞」受賞
平成5年2月 校舎裏舗装
平成5年7月 「明日っ子教育平和賞」受賞
平成5年10月 パソコン教室完成
平成5年11月 県小研算数部会指定、西播磨地区「算数研究会」開催
平成6年4月 校長 福井 康夫 就任
平成7年1月 兵庫県南部地震による被災地域の児童13名転入
平成7年3月 校地周囲西北東半周フェンス新規取り替え
平成7年10月 障害児学級改修工-たたみの間・流し台・洗体そう等完成
平成8年4月 校長 上田 浩之 就任
平成8年7月 地改対教育推進教員配置校訪問
平成8年8月 ランチルーム完成
平成8年10月 県教委地区教育事業参観
平成9年3月 給食室ごみ集積施設完成
平成9年11月 矢野川中学校区「同和教室実践発表会」開催
平成10年9月 水洗便所及び給食室改修工事完成
平成11年9月 災害時及び警報宣言発令時における児童引き渡し訓練実施
平成12年11月 西播磨地区小学校教員人権教育研修会会場校
平成13年1月 人権参観日「世界の人々と手をつなごう パート2」
平成13年8月 コンピュータ新機種、機器設置
平成13年11月 相生市教育委員会指定「総合的な学習の時間」研究会開催
平成14年2月 人権参観日「世界の人々と手をつなごう パート3」
平成14年4月 校長 小林 憲昭 就任
平成14年5月 不審者に対する引き渡し訓練実施
平成14年6月 県・市教委学校訪問
平成14年12月 人権参観日「生き方を学ぶ」「世界の人々と手をつなごう」
平成15年6月 ふれあい参観日(オープンスクール)
平成15年10月 評議委員会発足
平成16年4月 西播磨地区人権・同和教育研究会相生市指定(2年間)
平成16年8月 家庭科室及び準備室改修工事
平成16年10月 創立130周年記念航空写真撮影
平成17年4年 校長 中濱 俊貢 就任
平成17年6月 文部科学省とのスクールミーティング
平成17年8月 給食室改修拡幅工事
平成17年10月 矢野川中学校区人権・同和教育発表会
平成19年4月 校長 高谷 澄恵 就任
平成21年4月 校長 丸山 哲喜 就任
平成23年4月 校長 木波本 龍樹 就任
平成27年4月 校長 米澤 隆行 就任
平成29年4月 校長 上田 弘子 就任
平成31年4月 校長 圓井 武 就任
令和2年4月 校長 米澤 聖子 就任
令和4年4月 校長 綿田 里枝 就任