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男子81名 女子78名 計159名 (令和5年4月)
素直な児童が多く、友達同士とても仲が良い。休憩時には、サッカーやなわとびに興ずるなど、元気いっぱい外遊びをしている。
万葉集に「縄の浦ゆ 背向(そがい)に見ゆる 沖つ島 漕ぎ廻(た)む舟は 釣りしすらしも」(山部赤人)と詠われており、『那波』の地名の起こりは「縄の浦」にあたるのではないかと言われている。相生湾は、古代からの良港として知られ、中世以降、海上交通が盛んになると、最奥の那波浦には那波市が開かれ、矢野荘の玄関口(那波湊)として賑わうようになった。
本校は明治6年に開校され、明治・大正・昭和・平成と145年にわたって那波住民の学校として親しまれ、郷土の文化の中心的な役割を果たしてきた。
戦後、造船景気と相まって、人口増とともに児童数も増え続け1500人を超えたため、昭和26年には双葉小学校が新設され、陸・池ノ内地区が分離された。高度経済成長期には、緑が丘地域の住宅地開発が進み、児童数が再び1000人を超えたため、昭和48年に青葉台小学校が新設され、千尋・佐方・緑ヶ丘・青葉台地区が分離された。
昭和60年代以降、市の基幹産業の衰退とともに児童数は減少の一途をたどり、平成19年には90人を割ったが、その後、新しい住宅が建ち始め、児童数は増加傾向にある(令和5年度:159人)。
現在の校区を大別すると、古いたたずまいの並ぶ那波本町地区。昔からの住宅地である那波西本町と那波東本町。新興住宅地となっている大浜町と那波南本町。苧谷川と市の中心を走る中央通りの間に位置する大島町があり、国道2号線を挟んで校区の北の端には竜泉町がある。
校区は、伝統ある地域行事を中心に、古くからすむ住民と新しく転入してきた住民との交流がうまくはかられ、「おらが住む那波」の発展には力を惜しまない人々が多い。また、教育に対する関心も高く学校教育に対して熱心で協力的である。